企業理念

企業理念

居心地の良い窓辺の提供。
多くの人達が、窓の本当の温かさを知らないで生活を送っているように思えます。
冬の寒い時期でも、窓辺で心地のいい木漏れ日を感じられるそんな窓を。
夏の暑い時期は、木陰でくつろげるような窓辺を。
そんな窓をたくさんの人達に伝えられたらと思っています。

家族が必然と集まる温かいリビングを。
食事をとったらすぐに各自の部屋に戻るのではなく、子どもの時のように家族と遊べるリビングを。

窓を交換して「良かった」が聞ける工事をめざしています。

はじまり

攻める心とは。

中沢硝子建窓は、私が28歳の時に10年間お世話になったお店から独立をして立ち上げました。
18歳の時は、まさか自分が独立をするなど考えてもいませんでした。
遅刻は多いし、勝手に休みを取ったりと、前の会社にはたくさんの迷惑をかけていたと今では思います。
そんな中でも、ある日退社をすることが急に決まってしまいました。私が結婚をして、まだ1年も経っていない頃だったと思います。

家に帰り妻に相談もせず、会社を辞めることを伝えました。
私が想像していたのとは違い、妻はとても軽く「これからどうするの?」と聞いてきました。そのため私は、何にも考えていないことを正直に伝えました。
私的には違う職業に就くつもりもあったのですが、妻からの一言はなんと、「独立して、自分でやってみれば?」でした。
そんなこと考えてもみなかったと言えば嘘になりますが、独立して一人でサッシ屋を営んで行く勇気はなかったことを覚えています。

その夜はなかなか眠ることができませんでした。
次の日に、唯一の職場の先輩にことの次第を正直に話をしたところ、
「仁郎君、俺みたいにもたもたしているとずっとこのままだよ。」
「やってみても良いじゃないか。」
と、背中を押してくれました。

その先輩には、別れてしまった奥さんとの間に私と同じ年のお子さんがいます。そのお子さんとなかなか会うことができない中で、私のことをいつも優しく見守っていてくれていたことを知っていました。
こうして妻と先輩からの一言で、私の人生は一気に急変をしていくことに。

そこからは毎日が大変でした。
問屋さんやメーカーから商品を売ってもらうためには、信用が必要になります。
そして仕事が終われば、倉庫付きの家を買うために不動産屋さんをまわる日々。偶然にも、今の事務所が建っている場所を紹介されて、購入をすることができました。
元々は、ペットの美容を行っていた場所になるのですが、仲の良い人が犬をよくそこに連れて行っていたことを後から聞き、とても驚きました。

はじまり

スタート

妻の後押しもあって、築40年近い中古物件を購入することができました。そして、ここからが本当のスタートに。

前社を9月31日に退社をして、10月1日から一人で仕事をすることになったのはいいのですが…。
朝起きてから、仕事がないことにふと気付きました(笑)。
18歳の時は、まさか自分が独立をするなど考えてもいませんでした。
1件だけ、子どもの時から懇意にしていただいた工務店さんがサッシを購入してくれる約束をしていましたが、そんなすぐに仕事があるわけではなく、取り急ぎその工務店さんには挨拶に行きました。
社長や大工さん達をはじめ、皆から「頑張れ!」と言っていただき、力をもらえた気がしていました。

その帰り道、リフォーム屋さんが目に飛び込んできたので、人生初めての飛び込み営業をしたところ、ちょうど社長がいらっしゃったので、今日から初めて仕事をしたことを正直にお話ししました。
するとなんと、社内に新規登録の回覧板を回していただけることになり、次の日からお電話をいただくようになりました。

ここからは、毎日経験のないことの連続です。
1人で仕事をすることがこんなにも辛く、きついとは想像もしていませんでした。
懇意にしたいただいた工務店さんの常務には、「これからはサッシ屋でも建築士の資格は必ず持っていなければならない時が来るから。」とご助言をいただいたため、日建学院に入ることになりました。
仕事終わりと休みの日には、受講のために日建に通う日々。受講が終わるのは21時で、受講が終わってからトラックに乗り込み、現場にサッシを配達する毎日でした。
夜遅いので、近所の人達に気付かれないようにこっそり納品をしていました。

今ではこんなことをしていたら、すぐに警察に連絡されてしまいますよね(笑)。

スタート

順調に

建築士の資格試験に無事に合格して、長男が無事に生まれました。
その頃には、お客様の数も順調に増えてきていました。
覚えている限りでは、現場帰りに目に付いた工務店さんに建築店さんやリフォーム屋さんに飛び込み営業をすることを、5年間1人で毎日のように繰り返していました。

お手伝いをしてくれる人も出てきて、その中の市塚が今でも一緒に手伝ってくれていて、10年間も頑張ってくれていることを嬉しく思います。

新築用のサッシを、毎日のように倉庫で組み立てては現場に配達をしたり、初めて飛び込み営業をさせていただいた毎日。当時お世話になったリフォーム屋さんからは、嬉しいことに、毎日のようにガラスの割れ替えや窓の修理、ドアの修理もたくさんのご依頼をいただきました。

しかし、このまま順調に進むと勝手に思っていたのは私だけだったようで…。
月に3件から5件の見積もりをいただいていた工務店さんに、地主さん達とアパートをたくさん建てていた建築屋さん、その頃は新築物件だけでも数十件二人でこなしていたのですが、ある日を境に段々と物件が減っていました。そのことがなんとなく気にはなっていたのですが、何が起きているのかが私にはわかりませんでした。

そこでニュースをよく見てみると、リーマン・ブラザーズの破綻で、その余波が日本に来ていたことがわかりました。
そうです。アメリカでリーマンショックが起きていたのです。
そのことを初めて知った時は、どうすればいいのかが本当にわかりませんでした。

順調に

考えろ

その中で、新築は一気になくなっていくのですが、リフォーム屋さんだけは仕事量が極端に下がっていません。
新築には多額のお金がかかりますが、リフォームは壊れている部分のみの工事になるので、住んでいる人達はなんとかお金を出してリフォームは行っていたのでしょう。

しかし、今までの新築1物件の工事額と比べると、リフォームだけでは生きていけないような気がして、公共事業に強い建築屋さんに営業をかけることにしました。
物件は大きいのですが、発注金額は利益も出ないような工事ばかりを3年ほど無理に行っていました。
そんなことをしていると、現場の監督さん達は、自分達がお金を出しているかのような怠慢な態度をとるようになってしまいました。職人をいじめたり、脅しの言葉が出てきたり。

ある日の会社帰り、私は我慢の限界を迎えていました。
ここで初めて、市塚にとってはかなり厳しい選択を押し付けることになってしまいました。
「多分、このまま公共事業や新築物件を追いかけていても、いつか駄目になることは目に見えている。だから新築の物件は市塚一人に任せて、私は新事業のリフォームを一人で進めて行くことにしようと思う!」

新築がないとは言え、その頃でも月3~5件は受注がありました。そのため、1人でそれをこなすことは、自分が仕事を始めたころと同じくらいにきつくなることはわかっていました。

しかし、もう選択肢は残っていないのが現状でした。

考えろ

リフォームって何?

時を同じにして、アルミサッシメーカーもかなり大変だったのか、サッシ屋にリフォーム業を行うようにセミナーをしたり、営業に来たりし始めていました。
私は、考える余地もなくメーカーの話を聞いては勉強をし、それをずっと繰り返しをしていました。

リフォーム業を知るにしても、何をしていいのかが正直わかりません。
とあるリフォーム団体を知ってそこに加入することにしたのですが、まわりの人たちはすべて本物のリフォーム業者さんばかりでした。

その中で知り合った社長さんには今でも懇意にしたいただいているのですが、その方に
「中沢君、何でリフォーム業に興味があるの?」
と聞かれた時のことです。
私はすぐに答えました。
「新築がなくなったのでリフォーム業に参入するよう、メーカーにすすめられたからです。」
当たり前のことを当たり前に返答をしたに過ぎなかったのですが、それに対する社長さんからの言葉は、今の中沢硝子建窓があの時代を生き残るきっかけになりました。

「今からリフォーム業をしたとしても、中沢君たちはうちの会社に勝てると思う?」
「無理だよね、だって真剣にリフォーム業をしている人達は何十年もかけて仕事をしているのに、今日からリフォームを仕事にするって人が勝てるかな。」

私はその言葉を聞いた時に、自分が考えていることが浅はかだと初めて気付かされていました。

その自分が落ち込んだ姿を見て、さらに社長は言葉を続けました。
「中沢君は今のまま、窓だけをそれもYKK APだけを売り続けると良いよ」
「中沢君達しかできない窓工事をすれば良いんだよ」


どういうことか、私は一瞬わかりませんでした。
「窓だけをYKK APで売り続ければ、自然とLIXILが中沢君のことを気にし始めるだろうから、その時にLIXILも上手く使えるように勉強をすればいいんだよ」

更に頭の中が真っ白になる私がいました。
「隣の芝生が良く見えるかで、見えるだけだから貫きとおしたら本物になれるよ」

リフォームって何?

メーカーが動き出す

その衝撃的な言葉を聞いた後は、今まで何に悩んでいたのか、そしてこれから何をすればいいのかが少し見えてきました。
メーカーも黙ってはいない中、YKK APがリフォーム商品を本格的に開発に乗り出していました。
その中で、とあるYKK AP社員から、今後の大事な事業についての話を聞かされます。

後から知ったのですが、これが後々のMADOショップです。
このMADOショップに参画をしたショップだけの限定商品を作ることが、その社員の仕事のようでした。

守秘義務があるのでその時は、詳しい話は聞けませんでしたが、「誰でも簡単に施工ができるカバー工法を教えてよ。」とだけ言われました。
そうです、これが後のマドリモです。
私は今までリフォーム工事の中で、規格の商品を自分なりに現場に合わせ、カバー工法や木造用サッシの工事をしていました。
その施工方法を細やかにお教えしては、図面を書いたり持ってきてもらたりを繰り返して、やっとサンプルができあがっていきました。

その頃は、まだ事務所も汚く狭く、暑苦しい空間でした。
同時に、YKK APカットモール工法の外部モールの開発も進めていいました。

なぜ自分選ばれたのかはいまだによく分かりませんが、たまたま担当者が新商品の開発が決まった時に、私の顔を思い浮かべたそうです。
開発から1年ほど経ち、商品ができた頃に、MADOショップの加入が始まりました。
しかし正直、最初は誰も見向きもしませんでした。
話では、初年度は3台ほどしか売れていない商品でした。しかし10年後の今では、1万台を超えるほどの大きな売り上げとなっています。

メーカーが動き出す

証明するには?

しかしながら、窓リフォームで生計を立てることはまだまだ難しい状態です。

今から10年前に、とあるセミナーに行った時のことです。
そのセミナーで、あなたのお店の強みを教えてくださいと聞かれました。
まわりの人達は、口を揃えたかのように「技術力」「アフターフォロー」「提案力」と述べ、他の言葉を聞くことはありません。
私も同じような言葉が出そうになりまっしたが、恥ずかしくて言葉が詰まってしまいました。
他社と同じでは、それは本当の強みにはならないからです。

MADOショップも始まり参画をしたのと同時に、TOTOリモデルクラブにも参画をしました。
この参画をさせていただいた団体で、YKK AP首都圏部門では6年連続1位を獲得し、表彰旅行にも招待されました。
さらに、MADOショップではマドリモ販売本数全国1位を4年連続獲得。前年伸長率も同時に4年連続1位をもらうことができました。

10年前に訪れたセミナーを10年ぶりに訪れ、また当時と同じ質問をされました。
まわりからは10年間も同じことをしているのかと思われているであろう中で、私は笑顔でお店の強みを言うことができました。
「YKK APのMADOショップで4年連続全国1位、TOTOリモデルでの表彰を受けたことです。」と。

第三者からの表彰は、他のお店にはない強みであり、これまでの10年が生んだ結果という名の証です。
あの時出会った社長からの、「中沢君は窓だけを売りな。」という一言がなければ、表彰されることなどなかったと思います。

証明するには?

今からが本番

窓リフォームを始めることになったのはリーマンショック。
しかし、それも乗り越えて順調に行っている中で、またしても大きな見えない障害物が。
そう、コロナです。
着々と決まっていたリフォーム屋さんの現場も、延期または中止となってしまいました。
またもや仕事が徐々に減りつつあり、嫌な思い出がよみがえります。

しかし、その中でも前回と違うのは、家がある限りリフォームは必要不可欠な最低限の工事なので、我々の仕事がなくなることはないとわかっていることです。

2月3月と仕事をこなす中で、自粛が始まり職人達も休みに。
自粛が始まってしまった中で、問い合わせ件数は減るのかと思いきや、逆に増えて行くのが目に見えてわかりました。

家で仕事をする人たちが増えたことで、内窓の注文や窓交換にバルコニー拡張と、家で快適に過ごせるための窓リフォームの受注が増加したのです。
国や都から、自治体に断熱窓補助金が出されているため、それも追い風になっています。
今まで、リフォームの中でもあまり気にもされていなかった窓が、これからは主役の商材になろうとしていることがはっきりと分かります。

これからの10年がまた楽しみです。

有限会社中沢硝子建窓 代表取締役 中沢 仁郎

今からが本番

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